先日、足を伸ばしてとある書店に出かけた。 いわゆるセレクトショップ的にその店の個性を打ち出した品揃えをしているタイプのお店で、一般的な週刊誌とかそういう類は全く置いていないし、配架もお店の基準に依っているので普通なら同じようなジャンルに分類されるであろう本が全く別の場所にあるとか、逆にあっちで見たものがこっちにもあるとかといった感じになっている。 あえて近い感じのお店を言うと往時のVillage Vanguardが近い感じだろうか。 なので、狙って本を探すというよりもウロウロとしながら偶然の出会いを楽しむ方が良い感じのお店であった。
で、そんなお店でふと出会したのが本書。 本当は他にも色々と買いたかったのだが、悲しいかな、偶然の出会いに任せていくらでも支払えるほど潤沢な予算はなく(この手のお店に来るにはちょっと哀しい条件だ)、他数冊しか買えなかった。まぁ、それはともかくとして、ふと棚にある本と目が合ってしまった訳である。 言うまでもないけれど(?)、筆者の現在の生活の中で「モテ」みたいなことを意識したり、目指したりする必然性は全くなくて、そういうお年頃にある若者が手に取るのもまぁ青臭くてどうかとは思うけれど、いい歳した人間が手に取るにも少々、自意識過剰気味の気恥ずかしさはある。なので、タイトルにやや気後れしたものの、こういう出会いは偶然でありながらかなり必然というか、何かが引っかかったに違いないので逃すべきではない。
で、結論から言うと久しぶりに一気読みしてしまったし、タイトルや主題は確かに一癖あるのだけれど、実際には「モテ」の話に留まるようなものではなく、本質は人とのコミュニケーションを中心とした生きていく上で、人間関係を築いて快適にやっていくためにも、自分が生きやすくなるためにも読んでおいて損はない一冊であった。 著者の方の職業に偏見を持ってしまう、あるいは手を伸ば…
先日、足を伸ばしてとある書店に出かけた。 いわゆるセレクトショップ的にその店の個性を打ち出した品揃えをしているタイプのお店で、一般的な週刊誌とかそういう類は全く置いていないし、配架もお店の基準に依っているので普通なら同じようなジャンルに分類されるであろう本が全く別の場所にあるとか、逆にあっちで見たものがこっちにもあるとかといった感じになっている。 あえて近い感じのお店を言うと往時のVillage Vanguardが近い感じだろうか。 なので、狙って本を探すというよりもウロウロとしながら偶然の出会いを楽しむ方が良い感じのお店であった。
で、そんなお店でふと出会したのが本書。 本当は他にも色々と買いたかったのだが、悲しいかな、偶然の出会いに任せていくらでも支払えるほど潤沢な予算はなく(この手のお店に来るにはちょっと哀しい条件だ)、他数冊しか買えなかった。まぁ、それはともかくとして、ふと棚にある本と目が合ってしまった訳である。 言うまでもないけれど(?)、筆者の現在の生活の中で「モテ」みたいなことを意識したり、目指したりする必然性は全くなくて、そういうお年頃にある若者が手に取るのもまぁ青臭くてどうかとは思うけれど、いい歳した人間が手に取るにも少々、自意識過剰気味の気恥ずかしさはある。なので、タイトルにやや気後れしたものの、こういう出会いは偶然でありながらかなり必然というか、何かが引っかかったに違いないので逃すべきではない。
で、結論から言うと久しぶりに一気読みしてしまったし、タイトルや主題は確かに一癖あるのだけれど、実際には「モテ」の話に留まるようなものではなく、本質は人とのコミュニケーションを中心とした生きていく上で、人間関係を築いて快適にやっていくためにも、自分が生きやすくなるためにも読んでおいて損はない一冊であった。 著者の方の職業に偏見を持ってしまう、あるいは手を伸ばすのに迷うような人も悲しいかな、いるかもしれないけれど、実際には実に実直で誠実な内容で多分、すごく自分自身でも考え悩み、学びながら内容を整理して書いていったのだろうな、と思わせる中身になっていて、そういう肩書きやタイトルに惑わされずに手に取ってみてもらいたいと思う。ついでにいうと、一応、男性向きの本の体裁になってはいるけれど、内容としては女性が読んでも役に立つ部分は多いと思う。
さて、内容の詳細は読んでいただくのが一番として、もう冒頭から「あなたがモテないのはあなたがキモチワルイからである」と言い切ってしまっていて実に歯切れがいい。その後も冷たい訳では決してないのだが、容赦なく厳しい認識が示されまくる。 で、それに即したところで本書に載っている分類(モテる可能性のある奴とそうでない奴のタイプ別分類)で言うと、間違いなく青春時代、特に大学生の頃の筆者は「考えすぎて臆病」な「暗い人」であったと思う。で、恋の熱にうなされたかと思うと自分が何か(この本で曰くの)「特別な人」になったような気になって、普通に考えたらしないわなぁ、というようなことをしてしまったり、(まさに本書の表現の通り)エラソーなことしてしまったり。 実際のところ、まだ何者にもなりきれず、自分の(この本で曰くの)「心のふるさと」的な居場所もきちんと持つこともできず、臆病で自分に自信も持てず、そのくせ変なプライドだけは一丁前にあった当時の自分は、そりゃダメだろとしか思えないし、この本を読んでいるとブスブスグサグサと刺されまくる人間サンドバック状態でしかなかった。 何しろ、中高の頃は女の子とは無縁(と言うとあんまりだけれど、部活や授業などで時と場所を同じくする、という以外にはフランクな形で関わる機会がほぼ絶無だった)で異性関係についてはあまりにも経験不足、加えて大学になってからは見知らぬ土地、慣れぬ言葉と文化、全く未経験の分野での勉強や活動(音楽だって、やっとここからだ)。要するに何から何までウブな初心者。側からどう見えていたかは別として、自分の中に巨大な劣等感と不安と自信のなさが渦巻いていた頃だ。 そのくせ、大学生になって自由を満喫してはしゃいでいたと言うか調子に乗っていて、ちょっとしたことで舞い上がり、簡単に恋の病に陥って自分が何か特別な物語、ロマンスの主人公になっているかのような勘違いと自己陶酔に浸ったり、相手からすると勘違いとしか言いようがない事を言ったり、贈り物をしたり、そのくせ肝心なところではヘタレで動けなくて、しょうもないことをしまくっていた。 要するにこの本に書いてある臆病でエラソーで自分だけの居場所を持たないキモチワルイ奴を地で行っていたということだ。 今考えても、あぁ、恥ずかしい。
ただ、それでは当時の自分がこの本に出会っていたら劇的に変わっていたのか、モテていたのか、というと、多分、そんなことは絶対にない。 本の中でも痛いほどに警告されているが、この手の本を読んだからといって(あるいはその手の本に書いてあるようなことをマニュアルとして何かしたらからといって)それですぐに何か効果が上がるという話では全くない。そもそもそういう「自分はこういうものを読んだからちゃんとできるはずだ(マニュアルに沿ってやってるんだからうまくいくはずだ)」という発想自体がすでにキモチワルくて相手にしてみるとバレバレ。 結局のところ、身銭を切って自ら痛い目に遭って、自分と向かい合って自分のことをできるだけ理解していく、その上で自分の頭で考えて自分自身の言動を自分なりに修正していく、という迂遠とも思われるような手間暇をかけなくてはどうしようもない。つまり、その後、自分が自力で辿ったような道筋を結局辿らざるを得なかったのだろうと思う。 ただ、念のため申し上げておくと、じゃあ、今の自分にはその手のキモチワルサが全くないとか解消されたと偉そうに言い切れるかというとそんなことは全くない。たまたま、ラッキーなことに、もう「恋の駆け引き」だの「モテるモテない」だのといった領域に自分の身を置かなくてもいい生活環境にいるから、そういうキモチワルさが鎌首をもたげずに済んでいるだけのことではないか、とは思う。
じゃあ、当時の自分は何をしたのか、といえば、要するに本をキチンと読み、音楽を貪欲に聴き、勉強や音楽、仕事なんかにキチンと一定のレベルに達するまで取り組み、色恋抜きの異性の友達と関わってコミュニケーションや相手のことを(小さくはその人個人のことであり、大きくは異性というカテゴリーに属する人のことを)多少なりとも深い理解ができるようになり、失敗を重ねながら真剣に恋をして失恋して、その中で自分の「考えすぎる面」を多少なりとも乗り越え、自分がどういった関係を作りたいのか、といったことをそれなりに考え、といったことを右往左往しながら積み重ねてきたということ以外にない。 それでもマトモな恋愛ができるようになるまでには5〜6年を要したというのが実感である。 エラソーに自分の世界に引き込んだり、説教することを止め、自分の願望や欲望に相手を沿わせるのではなく、出来るだけ相手が何を求めているのかを考えようとした。この辺りって、散々言われていることで著者の次作なんかでも度々言及されていることなのだけれど、結局、恋愛(というか、恋の部分)というのは必ずどこかに「相手を支配したい」「相手をコントロールしたい」という欲望が混じっていて、そういうのを通じて自分の中の何かを満たそうとしている。なので、そういう部分を自覚的に行動するしかない、というのを失恋の際にぶつけられた言葉とかそういう中で学んでいったわけである。 同時に、「ゲームには付き合わない」というのも、これは自分に対してではなく相手に対してなんだけれども自覚的にやったことである。 もちろん、そういうのが好きな向きとか楽しんでやれる向きの人もいるので一概に否定するわけではないし、それはそれでどうぞご自由にということなのだが、どうも自分はそういう「恋の駆け引き」みたいな結局、それも相手をコントロールできるかどうかという綱引きみたいな事が嫌なんだな、と自覚して、そういうことをする相手には無理に関わらない、突っ込んで行かないようにしよう、と。もちろん、タイミングを伺うとかちゃんと場を整えるとか、そういうのはあるにしてもあくまで「好きなら好き」でいいやん、みたいな。
ただ、こういうことは自分一人の意思や努力だけでできたことではない。 自分にとって今考えても本当にラッキーな、厳しい箴言含めた密な関わりをしてくれ、そんなことは期待できないような場面でも見捨てずに手を差し伸べてくれ、支えてくれた友達との出会いや、僅かな時間ではあったけれども印象深い出会いと交流をもたらしてくれた、たくさんの人々がいてくれたからこそである。 そういう意味ではラッキーだったというべきだと思う。
実際問題、これらの日々は迂遠も迂遠、人生航路としては明らかに回り道であったとは思う。もう少し早く経験しておくべき事がたくさんあったし、恋愛面だけではないところで明らかに「留年」してしまった面はある。しかし、この回り道を経由せずにスムーズに社会人になり、テキトーな出会いの中で誰かパートナーに出会っていたら、今よりも100倍くらい鼻持ちならない、イヤな奴、キモチワルイ奴のまま年齢だけ重ねていた可能性が圧倒的に高い。 また、逆にもし、あの時、自分を顧みて右往左往しながら日々を積み重ねることなく、自分がこの歳になっても誰もパートナーを見つけることもなく独身生活を送っていたら、これまた、どれほどキモチワルくて迷惑な奴になっていたか、想像するだに恐ろしい。昔、出会った「あの人」に自分もなっていたのではないか、と具体的な人間像として想像がつくからこそ、そう思う。 つまりは独身にせよ、そうでないにせよ、まぁ、この迂遠な道を通らなかったら碌なことにならなかっただろうという事だ。
この本を読んでみて改めて自分のきた道を振り返ると、本当にラッキーなことにこの本の中で触れられているようなことにたまたま当てはまるようなことを経験、実践できていたのだろうなぁという感じである。それでも完全にキモチワルサが解消はしていないのはもちろんで、いや、実際、今でも自己開示は苦手だし、臆病さは相変わらずあるし、油断すると説教くさいし、他の人見てるとなんでそんなにうまく周りの人に関われてるのかなぁって思うし、先にも書いたようにたまたまそういう自分が問題にならずに済む生活条件にあるだけの話ではないか、自分の中に救っているキモチワルサは相変わらずあるのではないか、という思いは拭えない。
と、そんなあれこれを改めて思い起こさせてくれ、今の自分の中に残っているあれこれを省みる良いきっかけをもらった一冊だった。 足を伸ばし、ナマモノの本の並ぶ棚を自分の足で徘徊したからこそ得られた一冊。 これだからリアルの出会いは止められない。