筆者が初めて買ったDave Grusinのアルバム。 何故、このアルバムかというともちろん件のアドリブ誌に推奨されていたからである。 タイトルは、同時期に発表されていた『The Captain’s Journey』(Lee Ritenour)、『Finger Painting』(Earl Klugh)、『Havana Candy』(Patti Austin)、『Hold On』(Noel Pointer)といったDave GrusinとLarry Rosenが立ち上げたGrusin/Rosen Productionによるプロデュース作品群の「そのうちの一つ」という意味合いらしい。そう、つまりはその後、シーンを席巻するGRPレコードの先駆けという立ち位置である(この時点ではまだプロダクションという形だけでレコードレーベルとしてのGRPレコードは存在しておらず、それぞれの作品は別々のレーベルから発表されている。だからこそ、「そのうちの一つ」、「一連のプロデュース作品」であることを強調する必要があったのだろう)。
ちなみにアルバムのジャケット違い(本人のポートレート)もあるようだが、筆者的にはGrusinのルーツを垣間見せる、この朝日か夕陽か分からないけれども、アメリカの大草原を疾走する馬のシルエットが詩情溢れるこのジャケットの方が圧倒的に…
筆者が初めて買ったDave Grusinのアルバム。 何故、このアルバムかというともちろん件のアドリブ誌に推奨されていたからである。 タイトルは、同時期に発表されていた『The Captain’s Journey』(Lee Ritenour)、『Finger Painting』(Earl Klugh)、『Havana Candy』(Patti Austin)、『Hold On』(Noel Pointer)といったDave GrusinとLarry Rosenが立ち上げたGrusin/Rosen Productionによるプロデュース作品群の「そのうちの一つ」という意味合いらしい。そう、つまりはその後、シーンを席巻するGRPレコードの先駆けという立ち位置である(この時点ではまだプロダクションという形だけでレコードレーベルとしてのGRPレコードは存在しておらず、それぞれの作品は別々のレーベルから発表されている。だからこそ、「そのうちの一つ」、「一連のプロデュース作品」であることを強調する必要があったのだろう)。
ちなみにアルバムのジャケット違い(本人のポートレート)もあるようだが、筆者的にはGrusinのルーツを垣間見せる、この朝日か夕陽か分からないけれども、アメリカの大草原を疾走する馬のシルエットが詩情溢れるこのジャケットの方が圧倒的に好みである。
しかし、正直、買った当初は「Theme from “The Heart Is A Lonely Hunter”」の美メロとロマンティックな演奏にはすぐにハートを撃ち抜かれたものの、全体としての印象は何か凄そうなんだけど、何がどう凄いのか全然分からん、という感じだった。 同時期に入手していたReturn to Foreverの『Romantic Warrior』やBilly Cobhamの『Spectrum』などと比較すれば明白だが、あからさまにハイテンションにえげつないプレイをしたり、超絶技巧を見せびらかすというような側面は全くなく、結構えげつないユニゾンを決めている「Montage」ですら聴覚的には全然サラッと聴き流せてしまって、全体としての印象はあくまでスムーズ。ロックテイストのビートやディストーションギターも存在しておらず、かといって純粋なスウィングジャズというほどの4ビートでもなく、アコースティックなサウンドに徹しているかと言えば、これまたかなりさりげなく、しかし、確実にエレクトリックベースやシンセサイザーが鳴っている。でも、例えばWeather ReportやHead Huntersのそれとは明らかに違っていて、極彩色でもギトギトでもなく、実にさりげない。 しかも、アコースティックなサウンドであろうが、シンセサイザーが鳴っていようが、シンプルなようでバックの音の重ね方からして尋常ではなく、実に効果的にエレクトリックピアノやシンセサイザーなどを配置して全体的な音像の統一感を図っている。この辺りは学生時代のしょぼいステレオではあまりよく分からなかったが、聴き込めば聴き込むほどにそのエゲツなさが分かってきて悶絶ものである。 ソロプレイも上記「Montage」では実は結構攻めた演奏をしてはいるものの、いわゆる「熱い」演奏とは少し違って、超絶なのに恐ろしくさらりと聴かせているし、長尺のソロを延々と決めているわけでもない。 サウンドバリエーションとしてみても、一曲目の「Modaji」からして恐ろしくタメの効いたファンキーなテイストを忍ばせておきながら、全体的には極めて抑制的で、あのSteve Gaddがこれでもかと叩きまくるどころかグッと抑えた演奏を聞かせる。贅沢なストリングスをバックに映画音楽が鳴ったかと思うと、サラッとブラジル音楽に手を伸ばしてMilton Nascimentoの「Catavento」を演り(当時、筆者はまだ恥ずかしながらNascimentoの存在など全く認知していなかった。なお、最新作『Brasil』でも再演しているので違いを興味深く聴くことができる)、挙げ句の果てはEnrique Granadosの手になるスペインの空気感漂うクラシックの楽曲「Playera」を然も当たり前のように聴かせる(というか、これまたその後しばらく、これがクラシックに属する楽曲だとは思いもよらず)。 参加ミュージシャンもまぁ、クロスオーバー、フュージョン系ならそうだよね、というGrover Washington. Jr.、Dave Valentin、Steve GaddやAnthony Jacksonはともかくとして、その中に実に違和感なくRon Carterの名前があったり。 要するにクロスオーバーであるとかフュージョンであるとかといった言葉から一般的にイメージされるタイプのロックとジャズの融合、あるいはR&Bやファンクとの「クロスオーバー」や「フュージョン」みたいな感じからは程遠い(しかし、よく考えると恐ろしく高い音楽的レベルと多面的なクロスオーバー、フュージョンをやっているわけなのだが)音像に魅了されつつも困惑するしかなかったのである。 実のところ、これ以降のGrusinのソロ作は圧倒的に分かりやすく「フュージョン」していて、それらに比べると最初に触れたアルバムとしては名作であることは明白なのだが、正直、魅力を感じつつもギタリスト、かつ初心者であった筆者にとってはやや分かりにくく、本作を起点にさらにDave Grusinを深掘りしよう、Drusinってスゲェと素直に思うには相当の時間を要することになったのだった(多分、ソロ作に関しては軽く10年近く縁遠かった)。
まぁ、今の筆者の視点から言えば、この類例を見ないごった煮なのに明確なサウンドコンセプトと統一感を持って、しかもさらりと聴かせる選曲と演奏とアレンジとプロデュースの手腕に圧倒されるしかない、わずか五曲、36分少々にも関わらず、とんでもない一枚である。 とにかく、いわゆるクロスオーバーとかフュージョンという言葉のイメージに囚われずに聴いてみるべき一枚だろう。