『すべてはモテるためである』に衝撃を受け、読了後、早々に買ったのがこの本。 実質的には『すべてはモテるためである』と裏表、対をなす本であり、こちらは女性向けという体裁をとっているが、内容としては男性に対する言葉に置き換えていけば、ほぼ全て男性にも通じる問題を扱っており、理解を深めるという意味では二冊読んではじめて見えてくるものがあると言っても良い。
本書でのキーワードは、「心の穴」「自己受容」である。 自分自身が恋愛を通じて何を求めているのか、自分自身の心に空いたどのような穴を埋めようとしているのか、そうしたことを知っていく、これは前作での「自分がどのようにキモチワルイのかを知り、向き合う」ということとも相通じるのだけれど、まずは自分自身と向かい合わないと話が始まらない、というところからである。 同時に残酷なまでに(そしてそれはある種の優しさでもあるのだが)その「心の穴」は他人を持って埋めることは結局出来ない、自分自身で折り合いをつけていくしかない、つまり、特定の穴の空いた存在としての自分自身を受け入れていくしかないという、だいぶ端折って言えば、そういうことに尽きる。
この辺りというのは、心理学とかその周辺のことを学んできた人にとっては言葉こそ違えど、非常に腑に落ちる部分だろう(フロイトとか、その辺りから繋がる話ではあろう)。識者による評価としても、そういっ…
『すべてはモテるためである』に衝撃を受け、読了後、早々に買ったのがこの本。 実質的には『すべてはモテるためである』と裏表、対をなす本であり、こちらは女性向けという体裁をとっているが、内容としては男性に対する言葉に置き換えていけば、ほぼ全て男性にも通じる問題を扱っており、理解を深めるという意味では二冊読んではじめて見えてくるものがあると言っても良い。
本書でのキーワードは、「心の穴」「自己受容」である。 自分自身が恋愛を通じて何を求めているのか、自分自身の心に空いたどのような穴を埋めようとしているのか、そうしたことを知っていく、これは前作での「自分がどのようにキモチワルイのかを知り、向き合う」ということとも相通じるのだけれど、まずは自分自身と向かい合わないと話が始まらない、というところからである。 同時に残酷なまでに(そしてそれはある種の優しさでもあるのだが)その「心の穴」は他人を持って埋めることは結局出来ない、自分自身で折り合いをつけていくしかない、つまり、特定の穴の空いた存在としての自分自身を受け入れていくしかないという、だいぶ端折って言えば、そういうことに尽きる。
この辺りというのは、心理学とかその周辺のことを学んできた人にとっては言葉こそ違えど、非常に腑に落ちる部分だろう(フロイトとか、その辺りから繋がる話ではあろう)。識者による評価としても、そういったすでに学術的には様々に取り扱われている内容を「分かりやすい言葉」で伝わりやすい形で書籍にできているということが、本書の大きな意義であることは明らかである。 多分、著者の方は相当にあれこれと勉強し、自分の言葉に咀嚼するということを積み重ねてきたのだろうな、と実感する。
で、先に男性に対する言葉に置き換えてみれば、と書いたが、実際、筆者自身に引き付けてみても前作と同じく色々と考えさせられるところが多かった。 というのも、こんな筆者でも振り返ってみれば20代の頃、好意を寄せてくれた人がいないではなかった。なんとなく仲良くなりたく思ってくれていたのだな、とか、あれはチャンスがあったのかな、とか、後から(ここが重要だ)思えばそういうことがなかったわけではないのだ、と分かる。のだが、何しろ「後から」なんである。酷いのになると10年以上経ってからふと振り返って腑に落ちる、みたいなことすらある。いや、別にモテていたわけではない。当時の筆者は今以上に拗らせまくっていたので、そういうむしろ好意的に近づいてきてくれる人に対してはクールというよりは単に冷淡な感じになり、言わなくてもいい相手の気持ちを萎えさせるような事を言うくせに、言ったらいいのにという押しの一言が全然出ず、現実には臆病でヘタレでチャンスを逃してばかりであった。 そのくせ、何故か、自分から好意を持つのは、冷静になって考えてみればどう考えてもタイプが違うというか、自分とはレイヤーが違うというか、可能性はないだろうというタイプや本当に自分にとって相性が良いのかみたいな観点からの判断が全然できていないとしか思えない、あと、何故か惹かれてしまうのがすでに彼氏アリとかいう人が多かったり。とにかく無理筋な人ばかりに熱を上げていたのだった。 もちろん、そういうタイプの人にきちんとアプローチして、告白して、その上で成功だの失敗だの色々経験できていればまだマシだったのかもしれないが、だいたいは一人相撲で勝手に落ち込んで勝手に潰れていくパターンか、ろくなアプローチすらできないまますげなくされたりで、まともな意味での恋愛経験にすらカウントできない有様。 つまり、手元に幸せに通じる(可能性のある)出会いが転がっているのにそちらには見向きもせずに、わざわざ自分が苦しむ、玉砕する方向にばかり向かっていく、という時期が確かにあった。 もちろん、当時はそのように客観的に見ることなど全然できず、自分に向けられた好意もまともに認識していないか、受け止めもせず、「なんでこんなにうまくいかないのか」みたいな感じで、うまくいかない恋愛に苦しんでばかりだったのだが。 もちろん、好意を寄せてくれている相手と付き合えばうまくいく、幸せになれるというのも大間違いで、現実に相手と自分の釣り合いが取れているのかとか、話が合うのかとかといった問題は出てくるし、それこそ相手には相手の「心の穴」がある訳で、相手にとって自分が「愛してくれる人」として選ばれているかという問題は大きく横たわっている。その辺はもう少し時間が経った頃に手痛い経験を含めてよくよく理解することになるのだが、まぁ、あくまで自分の側のそれも拗れた状態を是正しなければそういう経験にすら至らない、という話。
つまり、筆者自身もこの本のタイトル通り、「愛してくれない人」にばかり突っ込んでいっていたのだった。
結局のところ、今から考えてみれば自分の「心の穴」に振り回されていた、ということなのではないかと思う。 自分にとっての心の穴は何だったのか(何なのか)、それがどのように恋愛に影響を与えてきているのか、ということについてはあまり明確に現在でも言語化はできないのだけれども、おそらくは自分が幼い頃にいわゆる「サイレントベビー」的な育てられ方をした(らしい)ということが大きく影響しているのではないかとは感じる。素直に自分の欲求や感情を表出させるとか、それにちゃんと応えてもらえるとか、スキンシップを十分に提供されているかとか、そういう面で決定的に何かが足りないまま育ってきたのではないか、という風には感じる。別に虐待をされていた訳ではないし、人様から言えば、あるいは自分の現在の視点から見てもずいぶんと大切に思われて育てられたのだな、と思うところは大きいのだが、にも関わらず、ある面での決定的な欠落が自分の他者や特に異性との関係の大きく影を落としたことは間違いないと思う。 それくらい厄介なものであり、著者も書いているように「どんな親でもそうと意図せずに自分の子どもの心に穴を空けてしまう」ものなのだろう。
もちろん、そうした自分の心の穴が現在、きれいに塞がっているとかそんなことはあり得なくて、要するに恋愛という形で自らの心の穴に揺さぶられる機会自体がなくなった、という程度のことでしかない。残念ながら、現在でも家族関係や子どもとの関係において油断するとそういう穴から噴き出してくる何かに影響されているのではないか、と感じる場面はあるし、得も言われぬ寂しさ、わかって欲しさ、「どうせ自分はひとりぼっちなんだ」みたいな何とも言えない拗ねた、いじけた孤独感に苛まされることは未だにある。 そういう意味では自己受容という点は一生続くのかもしれない。
ちなみにやや本筋ではないが筆者が興味深く思ったのは、「女であろうとすること(あるいは、男であろうとすること)」と「女らしさ(男らしさ)」の違いに関する部分だった。 個人的には「女らしさ」であるとか「男らしさ」であるとかといった定型化、ステレオタイプ化自体は決して好ましく思っていないのだが、これを本書の文意に沿って「自然体で自分がそうありたいものを表出する、行動する」と訳すと、なるほど、もう一方でのステレオタイプの典型である「女であろうとすること(男であろうすること)」、つまり、世の中的に「これが女の在り方だ(男の在り方だ)」みたいな事に対抗する有効な処方であるように感じられたし、実際、たとえば企業社会などで女性が苦しむ(そして、同時に男性も苦しむ)要因の一つがこの「働く以上、男のようにならないといけない、「男性」にならないといけない(家庭を顧みず、残業を厭わず、体育会系的ノリで、みたいなステレオタイプに自分を押し込む)」という圧力ではないかと思われる。 そういったものを自覚的に取り扱う(簡単に抜け出せる、解消できるとは思わない)、という意味では、重要なポイントではないかと感じた。
ただ、本書(特にオリジナルで最初に書かれた部分)、前作に比較するとやや指導書的というか説教くさい。 その意味では、書いてあることの内容はともかくとして、その表現や話の進め方に関して抵抗を感じる向きもあるのかも知れない。実際、筆者も男性の立場から第三者的に読むことが出来たのでそれなりに読むことが出来たが、仮に男性向けと銘打ってこういう書き方をされたらストレートに我が身に引き付けることが出来たか、と言われるとあまり自信がない。 で、この点については著者自身も書き加えられた内容が進むにつれ自覚していっているのだが(最初の内容に追加収録された、つまり、何年か経った上で改めて書き加えられたり、対談していった内容を見てみると明らかである)、著者自身が女性に対して抱いている願望(こういう風にあってほしい)が投影されている面があるからだったりする。言い換えると、本書自体が著者の「心の穴」が見事なまでに明らかにされた一冊になっていると言えよう。 いやぁ、怖い。 対象が著者にとって自分と同じ男性向けの場合、何というか仲間意識というか同輩意識というか、肩でも叩きながら「いやぁ、俺もそうやねん」「な、わかるやろ」的な感じなのが、女性向けという条件が加わることによって意図せざる形で内面が顕になってしまっている訳で、そういう意味では本書、そういう「心の穴」とはどういうことなのか、それは本人のコントロールの及ばない形でどう表出してしまうのか、ということをメタ的に理解する格好の書とも言えよう。