先日、久しぶりに実家に帰った折、自分の通信簿やあれこれ残っていたものを見る機会を持った。 通信簿に関しては、何というのだろう真面目で几帳面という点では自分自身に関する評価がほぼ一貫していたのと、時代故に書けた事だろう、いまだったら顰蹙ものというか、下手すれば炎上ものというか、絶対にストレートに褒めない、必ずグサっとくるようなことを結構エグい表現で書いてあるみたいな部分が担任のコメントに散見されて、当時はあまり気にしていなかったけれど、これ結構、潜在的にも傷つくよなぁという感じではある。 また、もはやそんなものは描くことがなくなって久しいロボットもののイラストや、当時、熱心に取り組んでいたプラモデルなんかも残されていて、こちらも何とも懐かしい気持ちになったのだった。 ただ、同時にモヤモヤとした何とも言えない感情が、ことイラスト関係に関して湧き上がったのも事実ではある。 イラストを描くことがなくなった理由には複数のことがあって決してシンプルではないし、圧倒的に後悔しているとかそういうことでもないのだが、当時の自分の描いていたものを改めて見てみるともちろん、現在の神絵師と呼ばれる人々の筆致には遠く及ばず、そのまま大成出来たとは到底自惚がすぎて言えないものではあるが、それにしても自分が好きだったもの、得意分野であったものであることは疑いがない。通信簿でも図画工作はそれなりに評価されていたし(ただ、あくまで「学校基準の美術」的視点であって、中学校後半に個人的な好み(アニメ的、SF的なもの)を潜ませ始めた頃からはあまり好意的に評価されていない感じではあった。音楽の授業でクラシックは評価されてもポップスやロックが煙たがられていたのと同じだろう)。
で、改めて思い返してみるとそういう自分の得意だった事、夢中になっていた事に関して積極的に応援してくれていた人がどれほどいたのだろうか、と考え…
先日、久しぶりに実家に帰った折、自分の通信簿やあれこれ残っていたものを見る機会を持った。 通信簿に関しては、何というのだろう真面目で几帳面という点では自分自身に関する評価がほぼ一貫していたのと、時代故に書けた事だろう、いまだったら顰蹙ものというか、下手すれば炎上ものというか、絶対にストレートに褒めない、必ずグサっとくるようなことを結構エグい表現で書いてあるみたいな部分が担任のコメントに散見されて、当時はあまり気にしていなかったけれど、これ結構、潜在的にも傷つくよなぁという感じではある。 また、もはやそんなものは描くことがなくなって久しいロボットもののイラストや、当時、熱心に取り組んでいたプラモデルなんかも残されていて、こちらも何とも懐かしい気持ちになったのだった。 ただ、同時にモヤモヤとした何とも言えない感情が、ことイラスト関係に関して湧き上がったのも事実ではある。 イラストを描くことがなくなった理由には複数のことがあって決してシンプルではないし、圧倒的に後悔しているとかそういうことでもないのだが、当時の自分の描いていたものを改めて見てみるともちろん、現在の神絵師と呼ばれる人々の筆致には遠く及ばず、そのまま大成出来たとは到底自惚がすぎて言えないものではあるが、それにしても自分が好きだったもの、得意分野であったものであることは疑いがない。通信簿でも図画工作はそれなりに評価されていたし(ただ、あくまで「学校基準の美術」的視点であって、中学校後半に個人的な好み(アニメ的、SF的なもの)を潜ませ始めた頃からはあまり好意的に評価されていない感じではあった。音楽の授業でクラシックは評価されてもポップスやロックが煙たがられていたのと同じだろう)。
で、改めて思い返してみるとそういう自分の得意だった事、夢中になっていた事に関して積極的に応援してくれていた人がどれほどいたのだろうか、と考えると先生以外を見ても随分と心許ない。 友達にはそこそこ認知はされてはいたけれどその程度だし、学校の先生から成績での評価以外の場面で何か言ってもらった記憶もない、家族も趣味は理解してくれていたし、特に足を引っ張ったりやる気を挫くようなネガティブな発言こそ皆無だったものの、積極的に関心を持ってくれていたという感じではない(まぁ、思春期故に近寄らせなかった面もあったのかも知れないけれども)。 もちろん、これは時代的な背景や地域的な特性なども考慮しなければいけない点ではある。 何しろ、親からしてみればまずは堅実に「良い大学に行って、良い会社に入って」という人生の成功コースを歩んでくれるのが一番であり、学校の成績が良くて勉強ができるのが何よりであり、飛び抜けた個性とかその子どもの持つ長所や特性を活かすとかいう発想など特にない時代である。ましてや、地元は当時は気が付かなかったが離れてみれば随分と保守的な地域性を持っており、いかに浮かないか、和を乱さないか、みたいなところが重要で、とてもではないが自由で風通しが良かったとは思えない風土。 要するによほど本人が強い意志を持って進んで行かない限り、趣味は趣味、遊びは遊び。勉強や進路とはあくまで別物。
また、夢中になってやっている趣味や遊びの中に垣間見えるその人の可能性や才能だけでなく、勉強一つとってみてもかつてはとにかくオールラウンダーというか「オール5」が理想、みたいなのでほとんどの人の目が曇っていたところも当時は今以上にあったと思う。
実際には「こういう勉強は得意(他は…)」とか「この分野には興味がある(他は…)」とか色々な面があるわけで、そういうその人の持っているものをいかに活かすか、見出してあげるかは結構、重要なことだと思う。 個性を活かす、みたいな話をした時に当の本人が「これが私の個性です」みたいな事をしても、現実にはなかなか自分の姿、可能性などクリアーに見えてくるものではない。ましてや成長途上の子どもにとってみれば、そんなものを自分で見出せるのはよほどラッキーな人間しかいないだろう。むしろ、勝手に自分の個性や才能、可能性を限定したり、固定したり、幻想を当てはめたりするのがオチだ。 そう考えると、周りの人間が柔軟な視線で子どものやっている様々な事を通して、その子どもの特性や個性、持ち味、可能性といったものを丁寧に見出していくことや、そっと背中を押して励ましてあげることって結構、大事なんじゃないかな、という気がしてくる。 ともすると冷笑したり、腐したり、そういう事の方が案外と簡単にやれてしまうんだよね。
繰り返すけれど、それで何か名声を得たり大成をする程の実力であったとは到底思えないのだけれども、それでもあの頃のあの手の趣味や得意分野がそのまま自分に残っていたら自分のその後の進路、人生航路は随分と違ったものになっていたのではないかという思いが拭えないのである。いや、別に今に不満であるとか後悔しきりであるという話ではないのだけれど、あの頃に半ば自ら捨て置いたものを改めて目にしてみると色々と考えてしまう。
まぁ、多分、潜在的にそういう想いはずっとあったのだろうし、多分、今、自分の子どもに対しての関わり方の中で無意識のうちにこだわっている事の一つはこういうことなのかも知れない。