水を遣る人、背中を押す人
spreadmywingssite.wordpress.com·15w
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先日、久しぶりに実家に帰った折、自分の通信簿やあれこれ残っていたものを見る機会を持った。 通信簿に関しては、何というのだろう真面目で几帳面という点では自分自身に関する評価がほぼ一貫していたのと、時代故に書けた事だろう、いまだったら顰蹙ものというか、下手すれば炎上ものというか、絶対にストレートに褒めない、必ずグサっとくるようなことを結構エグい表現で書いてあるみたいな部分が担任のコメントに散見されて、当時はあまり気にしていなかったけれど、これ結構、潜在的にも傷つくよなぁという感じではある。 また、もはやそんなものは描くことがなくなって久しいロボットもののイラストや、当時、熱心に取り組んでいたプラモデルなんかも残されていて、こちらも何とも懐かしい気持ちになったのだった。 ただ、同時にモヤモヤとした何とも言えない感情が、ことイラスト関係に関して湧き上がったのも事実ではある。 イラストを描くことがなくなった理由には複数のことがあって決してシンプルではないし、圧倒的に後悔しているとかそういうことでもないのだが、当時の自分の描いていたものを改めて見てみるともちろん、現在の神絵師と呼ばれる人々の筆致には遠く及ばず、そのまま大成出来たとは到底自惚がすぎて言えないものではあるが、それにしても自分が好きだったもの、得意分野であったものであることは疑いがない。通信簿でも図画工作はそれなりに評価されていたし(ただ、あくまで「学校基準の美術」的視点であって、中学校後半に個人的な好み(アニメ的、SF的なもの)を潜ませ始めた頃からはあまり好意的に評価されていない感じではあった。音楽の授業でクラシックは評価されてもポップスやロックが煙たがられていたのと同じだろう)。

で、改めて思い返してみるとそういう自分の得意だった事、夢中になっていた事に関して積極的に応援してくれていた人がどれほどいたのだろうか、と考え…

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